文化祭が無事に終わったところで

何か考えてみようと思います。
これはあくまで俺の考えであり、イラついているわけでもなく、ただ『USDX2』の物語を考えていく過程で考えたものです。



戦争というのは人々が戦う、いや、戦わされているのだろうか。
上の命令一つで戦争に赴かなければならない時代があった。
ただの一言で家族と引き離されてしまう時代があった。
利益のために人々は戦った。裕福のために、富のために、土地のために戦った。
ただの一言で、人間は道具と化し、自然は無惨にも儚く散っていった。


戦うことで得られる者は何だろうか、与えられるのは勝利か敗北の二つに一つ、それ以上もそれ以下も無く、戦争では勝っても負けても残るのは深い後悔と悲しみの渦、数多の悲劇、無数の苦しみ。
それらを通じて人々は初めて考え始めた・・・・・・「平和」の二文字を。
勝っても負けても失ったものは帰ってこない、元には戻らない。


しかし時も経ち、戦争の記憶は薄れていった。人々は「平和」について考えるのを止めた。「今は充分平和だ」と思い始めた。
しかし「平和」というのが未だかつて訪れた事はない。
『和』の漢字はお互いを大切にし合い、仲良くなることだ。それは動物に対しても、植物に対しても・・・だ。
しかし今はどうだろうか、まだ同じこの空の下で争いは起こっている。人々は自然を壊し、我が物顔で動物たちの住みかを追いやっている。
人間が戦争を起こしている。
人間が自然を壊している。
人間が地球を侵している。


平和なんてものは夢のまた夢だ。
しかし人々は望む。
ほんの一時の平和を。

そして人々は諦める。
永遠の平和を。





これで終わりです。
でもこれは俺の考えの延長線上で、大袈裟に書いてます。
こんな人間の全てを否定した考えを俺は持ってません。俺だって人間ですからw
この考えが誰のものだろうと、書いたのは俺ですがねw
ちなみに実在の人物のものではありませんのであしからずm(_ _)m


・・・にしてもアレだ、途中から何書いてんのかわかんなくなった(何